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火垂るの墓の感想!清太はクズのコミュ障なのか!?

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火垂るの墓が地上波でやっていましたね。

 

子供の頃に観たので内容が覚えてなかったんですが大人になって改めてみると色んな思いが、こみ上げてくるので、その思いをぶつけたいと思います!

 

 

 

火垂るの墓のあらすじ

戦争が原因で両親を失った清太(14)と節子(4)。

家も焼けて失ったので、親戚のおばさんの家に世話になります。

 

そのおばさんは口がきつい人で、徐々に居心地が悪くなって清太は節子を連れて、出て行って防空壕で暮らします。

 

やっと自由にできると思ったら、食料が尽きて清太は他の人の畑から野菜を盗んだり、空襲に紛れて火事場泥棒するようになります。

 

節子は湿疹やお腹の調子が悪く、どんどんやせ細り弱っていきます。

最終的に衰弱して死んでしまいます。

 

 

そして清田も野垂れ死にます。

このシーンは冒頭で見られます。

 

火垂るの墓の清太はクズ

 

火垂るの墓

戦争に巻き込まれて可哀想な兄妹の話なのは間違いないのですが、考えれば考えるほど、清太と節子は戦争終焉の日を迎えて生き延びることができたと思うのです。

 

西宮のオバサンから見た清太

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最初の分岐点は、やはり西宮のオバサンのところでしょう。

 

西宮のオバサンは口はキツイかもしれませんが、何ひとつ間違ったことを言っていないのです。

 

 

防火活動もせずに学校も行かないでオバサンの家でなにもせずに過ごす清太。

 

そらオバサンから何かしろと言われますよ。

 

  • 愛想なし
  • 感謝の言葉ない
  • お詫びの言葉ない
  • 気が利かない

 

清太の態度はコミュ障そのもので、オバサンがどんどん冷たくなるのも当たり前です。

 

オバサンの立場から言えば戦争で自分の家のことでも大変なのに、子供を二人を家に受け入れてるのは中々厳しいはずです。

 

その子供が愛想なくて働かずにずっと家にいて、食事にケチつけられたら、そらイライラもします。

 

火垂るの墓で清田のとるべき行動

 

清太が両親が残してくれた財産7000円(当時で言うとこの1000万円)を家賃としてオバサンに多めに支払って、

 

防火活動と家の手伝いをしてオバサンを労っていたら、快適に家に家にいさせて貰えたと思いますよ。

 

100歩譲って、オバサンへの見返りが手厚かったら、ニートをやっていても見逃してくれたと思います。

 

節子への待遇も良くなっていたでしょう。

 

 

しかし実際の清太は何一つ実行しなかったですよね。

 

 

オバサンだって最初に白米や梅干しやバターを持って行った時に優しかったので、ワイロが効くのは実証済みです。

 

オバサンの家を出ていく清太

 

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オバサンに虐待されたり、陰湿なイジメをされた訳でもないのに、清太は節子を連れて家を出ていきます。

 

 

辛抱なさすぎです。

 

 

防空壕で節子と二人で暮らすと決めた時はとても楽しそうでした。

これから誰にも邪魔されないユートピアを築いていくんだという希望を持っていたのでしょう。

 

状況が悪くなっても他人との関りを持とうとしない清太

 

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その後に節子の体調が悪くなって、食料が尽きても、誰にも頼らずに、他人の畑の農作物や火事場泥棒になっていきます。

 

そういう状況になるならオバサンに頭下げて家に置いて貰えば良かったんです。

 

オバサンの、あの雰囲気だったら謝れば許してくれたでしょう。

家に戻るチャンスはずっとありました。

 

しかし清太はオバサンどころか必要最低限としか人と関わろうとしません。

 

 

誰に相談してもオバサンのところへ帰れと言われるのが嫌で相談しなくなったのかもしれませんが、清太はわりと最初のほうから他人と関わるのを避けていました。

 

 

振り返れば清太は働くのがイヤなのではなくて、他人と関わるのがイヤで防火活動に参加しなかったのではないかと思います。

 

 

清太の高すぎるプライドとコミュ障が原因で節子を死なせてしまったと言われても仕方ない状況だと思います。

 

常識的に考えて貯金が沢山あって身寄りがあるのに、死んでしまうなんてよっぽどです。

 

 

オバサンの家にいたら、清太も節子も生き延びることができたでしょう。

 

高畑勲監督の言葉と社会風刺

火垂るの墓

高畑勲「清太と節子は”家庭生活”には成功するけれど

社会生活”に失敗するんですね。

 


いや、失敗するのじゃなくて、徹底して社会生活を拒否するわけです。
社会生活ぬきの家庭を築きたかった。


まわりの大人たちは冷たかったかもしれない。


しかし、清太の方も人とのつながりを積極的に求めるどころか、
次々とその機会を捨てていきます。
 


お向かいの娘に、『うちらも2階の教室やからけえへん?』と誘われて
『ぼくらあとでいきますさかい』と断り、学校へも行かず、先生にも相談しない、


置かしてもらった親類の未亡人はいやみを次々いい放つけれど、
あの時代、未亡人のいうことぐらい特に冷酷でもなんでもなかった。

 

 

清太はそれを我慢しない。

 

壕に移り住むことを決断して清太はいいます。

 


『ここやったら誰もけえへんし、節子とふたりだけで好きに出来るよ。』

 


そして無心に”純粋の家庭”を築こうとする。

 

そんなことが可能か、

可能でないから 清太は節子を死なせてしまう。

 

しかし私たちにそれを批判できるでしょうか。


心情的にはべつに現代の青少年たちとだけ類似があるのじゃないと思うんです。

 

マイホームとか核家族とか、個室やオートバイを子どもに与えるとか、
おとなもみんな清太になりたがり、


自分の子どもが清太的になることを理解し認めているんじゃないんですか。

 


社会生活はわずらわしいことばかり、
出来るなら気を許せない人づきあいは避けたい、自分だけの世界に閉じこもりたい
それが現代です。それがある程度可能なんですね。

 


ウォークマン、ステレオ、パソコン、みんなそれを象徴しているような気がします。


清太の心情は痛いほどわかるはずだと思います。」 

 

当時の若者(1988年代)へのメッセージらしいです。

現代でも通ずるものがありますね。

 

戦争も日本ではここ何年もないし、テクノロジーが発達したので、ますます他人と関わる必要性がなくなりました。

 

 

他人と関わるのは疎ましいことが多いので清太の気持ちが分からなくもないこともないですが、状況が状況なので、やはりコミュニティに属して助けて助けてもらう関係性を築くことは必要だったと思います。

 

火垂るの墓は他人との関りを拒絶する人への風刺作であると言えるでしょう。

 

 まとめ

火垂るの墓

火垂るの墓

 私は割と他人とのコミュニケーションを面倒くさがるタイプで、極力関わろうとしないです。このような態度を取れるのは贅沢なのでしょうね。

 

人と関わることはセーフティネットになるし、いつの時代もコミュ障が生きていくのは辛いです。

 

清太は14歳の思春期でお父さんはエリートのお坊ちゃん育ちだからプライドも相当高かっただろうと思います。

 

少年のプライドの高さと無知とコミュ障が原因の悲劇の作品だと評価をしています。

現代でも清太のような人は多いでしょう。

 

清太を愚か者の一言で切り捨てるのは、なかなかためらわれます。